マンスリーコラム
すべての人に大切な物語があり、その捉え方一つで力になる
わたしが思うキャリアコンサルタント像
キャリアコンサルタントは良き聞き手であり、クライアントの話を整理する補助線を引く人である。そしてときには、クライアントの話に違う角度から光を当て、見えていないところを掘り起し、新たな見方を提供し、「くすんでいたクライアントの物語」を「力強い肯定的な物語」へと共に著わす人である、と考えている。そんなわたしは、さまざまなキャリア理論を心に携えてクライアントの課題に向き合っている日々のなかでも、特にサビカスのキャリア構築主義的なカウンセリングのあり方に、強く共感している。
それは、わたし自身の歩んできたキャリアに関係しているのだと思う。
カラフルな人生を武器に
わたしのスタートは人材情報会社の営業職で挫折し、異動に救われ求人誌の編集者となった。人と仕事の出会いに関わりながら、自分も結婚し出産し、キャリア危機を幾度も味わった。最初はまず営業職がまったく出来ない自分に、次は異動先で仕事が面白くなり小さなチームのリーダーとなったものの、部下の育成につまずく。その部下が「わたしの思う仕事上の大切なこと」をまったく理解しないことが始まりだった。いかにこれまで、理解しやすい人としか働いてこなかったのか、痛感した。数年たち、人も大きく変わりリーダー業務になれたころ、出産を迎えた。昔のことで、育児休業法もまだの時代。ワーキングマザーの前例のない中で周りに支えられて不器用にとりあえず日々をやりくりし、数年がたち、第<2>子を生んだ直後に夫を突然失うことに。予期せぬ「未亡人」「母子家庭」という事態に直面する。「女性として働く」ことから、「大黒柱として働くこと」へのシフトチェンジになって初めて、自分の仕事への覚悟は「家庭内オプション」だったのだと気づく。それから数年がたち、初職の仕事に行き詰まりを感じるとともに、子育てや学生との接点のなかで、もう少し地域に近いところで教育に関わりたいと思い、地方公務員に転職をした。最初の職場から公務員は、地球の裏と表くらい文化が違う。そこから再び未知なるキャリアに向き合うなかで、自分が何を喜びに働くのかを突きつけられる日々となる。公務員として6回もの異分野人事異動に適応していく中で、キャリアカウンセリングを体系的に学ぶ場に自ら足を踏み入れたのが、公務員になって8年目のこと。そこでようやく「わたしが何を持ってわたしであるのか」を知ることとなった。感覚的に選んできていたこと、選ばされてきたと思っていたこと、上手くいかなかったあれこれ、上手くいったあれこれ、自分にとっての「一貫性のない物語」が「一貫した自分らしい物語」だと思えた時、ロールモデルなしにただ突っ走ってきたわたしにも、樹齢の長い木のような「幹」があったのだと思えたことを覚えている。
誰の人生も、みな、その人のモノとして大切にしてほしい
公務員生活の中で外的要因にふりまわされ、自分のキャリアを自分で構築することなどできない、と思い込んでいた仲間たちに「キャリアデザイン」のアプローチで笑顔を取り戻せたとき、もっと多くの人が自分の物語を再構築するお手伝いがしたいと心から思った。
そんなきっかけもあり<4>年前に独立し、ライフワークとして子どもたちの教育や、お母さんたちへのセミナーに力を入れている。それは「子どもも一人の人格を持ったひと」であり「母親も母親であるまえに一人のひとである」ことが、とても大切だと感じているからだ。ただ同時に、再構築しなくても、もっと幼いころから「自分の手で自分の物語を力強く描ける力」があればもっといいのに、とも思った。生まれたばかりの赤ん坊は自分のことを無力だとは思っていない。あるときから「自分は一人では何も決められない人間だ」と思ってしまう子が現れる。その要因に一つに、自分の人生を子どものために後回しにしてしまいがちな母親の姿があるのではないかと感じたからだ。子どもが失敗しても、自分の力で立ち上がって人生を切り開いていける、と信じられるには、大人もそう思って生きていて欲しい。そのために、子どもにとって身近な大人である母親にも母親の物語としてではない、自分の人生の物語を大切にして欲しいと願っていて、そのお手伝いをしたいと強く感じている。
だれかのために生きること、ではなく、まず自分の人生を尊重すること。そんな一人一人が互いを尊重し、相互依存的なつながりを築けるのではないか、そんなふうに考え、わたしのキャリアコンサルタントとしての日々を過ごしている。
コラムの感想等はこちらまで(協議会 編集担当)
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